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新市場基本コンセプト懇談会報告書 第2章

第2章 新市場の将来像検討のための論点整理

I 市場流通の課題と今後の方向性についての問題提起

1.変化した卸売市場の存立基盤

(1)売り手市場から買い手市場への変化

多数の売り手と多数の買い手をつなぐ、あるいは作ったものは売れてしまうという需給関係の下では、売り手から買い手に物を流すシステムとして競りを行う卸売市場がもっとも公正で効率的。しかし、価格を下げても需要が増えない、需要と供給を価格形成で量的にマッチングさせることの重要性が低下する物余り状況の下では、全量即日販売や競りが成立しにくく、顧客の買いたい物を取り揃えて供給するという質的マッチングが求められる。

(2)鮮度維持技術の高度化
  • 保冷・冷凍技術が発達し、産地から消費地に輸送しても鮮度が低下しなくなった。そうすると、消費地でもう一度品質を評価する必要はなくなるかもしれない。産地に大きな市場ができたら消費地の小さな市場は、産地価格プラス流通経費で物を流す。あるいは、消費地の大規模市場でダイレクトに価格形成してしまう。こういう可能性もあるのではないか。
  • 10年、20年先に、品質の格付けができて、産地で水揚げされた量が全て集まってくるような情報の集積場所ができても、やはり、現物を競らないとだめか?
  • 市場には品質評価機能と価格形成機能があるということだろうが、仲卸さんが価格を決めて、これで買えといってお客は納得するのか。品質を見極めたら、お客の買える値段を考えて、卸売価格はこの値段ということになるのではないのか。後は、今日は、品物が少ないから、昨日より高く売れるということで価格を付けているのでしょう。仲卸さんは、水揚げ量と入荷量を集計して公開しろということを言っているのだから、将来、品質の格付けが出来てしまえば、現物を見なくても評価できるようになるのではないか。
(3)小売構造の変化と需要の減少
  • 1970年代半ばからスーパーやコンビニのシェアが上昇してきた。1980年代半ばになると、専業小売店の数が急激に減っていった。それでも、需要が大きく減ることは無かった。しかし、これからは、人口が減って高齢化が進んで食べる量が減っていくという、需要減少の流通がはじまっていく。
  • 集荷量が少ないと、価格形成のイニシアティブは持てないのではないか。そのためには、社会全体の消費は減るとしても、とにかく大量に集めて主導権を握れるだけの販売力が基幹市場には必要だ。量販店対応はしない、売買参加者は減らせ、小口のお客が買う分だけあればいいというので、市場はやっていけるのか。
(4)ワンストップ・ショッピングの拡大

これまで市場の存立基盤だった街の専業小売店が何故スーパーに負けたのかを考えてみると、価格で負けたからではない。ライフスタイルが多様化してくると、消費者が買い物にかける時間が短くなる。複数の魚屋さん、八百屋さんを買いまわりして比べるような買い方ではなく、ワンストップ・ショッピングで済ませてしまう。これに対抗するには、専門店化してスーパーには無い品揃えや対面販売などしかないのに、日本の小売店は、スーパーと同じパック商品を売ってしまった。しかし、専門店として成立する商店数には限りがあるということも事実だ。

(5)消費の多品種少量化

消費は、今後、ますます個性化、多様化していく。1品目当たりの需要量が少なくなると、生産者とか流通業者は、スケール・メリットが出なくなる。また、商品選択の幅が拡がって、生鮮だけ、水産物だけを扱っているだけでは済まなくなってきている。市場は、多品種少量のニーズにきめ細かい対応をせざるを得なくなっている。

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2.市場流通の今後と新市場の対応策に関する提言

(1)一般流通との競争が激化
  • 日本の小売業は、卸売機能が弱いと言われているが、逆の見方をすれば、卸売業界にマーケットチャンスがあるということになる。
  • 菱食や雪印アクセス等の市場外流通業者は、日配網を持っていることから、スーパーマーケットで扱っている食料品を一手に供給することも可能であり、彼等は今、生鮮にまで進出しようとしている。
  • 生鮮といえども一般流通業者との競争がありうることを前提として、卸売市場も生鮮食料品流通の一翼を担いながら、その中で競争力を強化していく必要がある。
(2)中小専業店の新展開への対応
  • 人口の都市回帰が起こっており、中小専業店がスーパーと差別化した展開ができれば、中小専業店がもう一回復活する可能性がある。そのためには、大型スーパーに対抗できるよう、卸・仲卸業者が、消費者にとって魅力的な品揃えや売り方ができる中小専門店づくりを指導、育成できるかが鍵だ。
  • 小口の小売・飲食店が減っていくのを見ているだけでは駄目で、新規開業をバックアップできる仕掛けが必要だ。自分は食器を売っている、隣は調味料を売っている。そのときに、野菜や鮮魚は青果・水産の仲卸を紹介できますという開店相談窓口があって、お客を増やしたりサービスすると喜ばれるのではないかという発想だ。食材の情報はここへ行けばわかる、厨房機材はこういうのがある、衛生指導も受けられるとか、こういうものをトータルでサポートできる機能は市場の外にはない。
(3)キャッシュ・アンド・キャリーへの脱皮
  • 小口の小売店、飲食店のためのキャッシュ・アンド・キャリーを充実したらどうか。市場は、仲卸と関連の物販業があって、元々キャッシュ・アンド・キャリーの機能を持っているが、本格的な店舗づくりになっていない。
  • 6万平米ぐらいのフロアに、大量仕入れでドンと陳列してあって非常に選びやすい、といったものを考えて行く必要があるのではないか。その中に、100円ショップコーナーも在っていい。
(4)多品目小売業態に対応できる卸・仲卸関係への脱皮
  • 新市場では、多品目小売業態に対応できる流通施設を整えることと、卸と仲卸が手を結び合い機能分担しながら、お客の業態に応じていける関係をつくることが必要だ。
  • 水産の仲卸は、近海、特種、大物、干魚、塩魚といったように魚種別の業種に別れている。得意先のニーズに対応するためには、受注窓口の一本化とか、物流の集団化などが必要ではないか。
  • 仲卸同士が連携なり集団化して、荷受とタイアップして量販店対応すればというのは、理解できる部分はあるが、そのために必要な体力をどうやってつけていくのか、また、売上げが1000万円台もいれば何十億円という仲卸があるという現実の中では、非常に難しい問題と言わざるを得ない。
(5)サプライ・チェーンの構築を目指す
  • ユニクロにしろセブン・イレブンにしろ、しまむらにしろ、消費者のニーズが先にあって、それに沿って商品開発、商品選択、仕入販売活動を一貫性をもって行っている小売業が、この不況の中でも収益を上げている。これからの食品流通を考える場合も、生産から小売販売までが全く無駄のない、消費者が欲しいと思った時に欲しい商品が店頭に置かれるというようなサプライチェーン・システムをどうしたらつくれるかを考える必要がある。
  • 物余りの中で消費の選択の幅が拡がり、生産と小売の大型化が進むと、需要に合わせて生産を行い、物流させる流通がリスクの少ない効率的な流通になる。市場外では生鮮分野でのサプライ・チェーン構築の動きが始まっている。卸と仲卸が共同してこのチェーンの中に入れるかが、市場がシェアを維持できるかどうかの分かれ目だ。
  • 供給が安定しない生鮮食料品で、工業製品と同じようなサプライ・チェーンを適用することは難しいのではないか?特に、鮮魚の場合には、スーパーにサンプルを持って行って商談するということができない。市場の仲卸は、お得意の要望や注文があって、何を仕入れるとか競りで買うとかしている。私が勝手に売りたい物を売るわけではない。また、実際問題として、このサイズをこの値段で欲しいと注文を受けても、今日は入荷がなかったということもある。
  • 需要のある物しか集荷しないとなると、生産者にとって市場は魅力が無くなるのではないか。需要以上の入荷があっても売りさばく販売力を持つことこそが重要だ。
  • サプライ・チェーンが得意とするのは、定番商品の補充・発注システムだ。だから、消費起点の発想で、川下のニーズにだけ対応していたら上手く行かないところが出てくるのは当然だ。生産者や市場の方から「こんな物があるよ」という情報を発信して、売り込んでいくことが重要だ。全部を消費起点でやると食生活が単純化してしまう危険もある。情報を発信して、それを伝えるという機能を市場は残しておく必要がある。
  • 消費者ニーズから出発しろと言うが、消費者はメディアや量販店の思惑に踊らされている部分もあるのではないか。目利きの専門家として、本当はこういう物を食べて欲しいという思いが消費者に伝わっていくことが重要で、生産者や流通業者の主多的な責任において商品を提供することが必要ではないか。
  • 加工品や冷凍魚などの規格品では、市場でも消費起点のマネジメントに近づいてきている。今後、10年ぐらいのスパンで捉えると、漁業管理の精度も上がり、鮮魚でもサプライ・チェーンの構築が可能になるのではないか。
  • サプライ・チェーン構築の目的は、生産と消費のリードタイムを如何に縮めるかということにある。朝、畑や海で収穫・水揚げされた生鮮食料品を翌日の朝まで取引しないということを、市場はこれからも続けていくのか。
  • 青果では、産地と卸間の情報の精度が問題になっている。卸から仲卸には、経済連を通して、生産状況や出荷情報が来る。仲卸は、その数字を見て得意先と商談して仕入れるが、実際にはそのとおりに品物が来ないということが多い。お客から注文を受けても、必要な物が必要なだけ集まるのかわからない。そういう情報機能が不足しているから、ミスマッチが起きるので、生産者から小売業者までが参加し、情報の精度が上がっていけば、サプライチェーンをつくれる可能性があるのではないか。
(6)市場の卸は、販売代行から仕入代行へ
  • 仕入代行とは顧客のために仕入れ、顧客とほぼ同じ品揃えをすることであり、販売代行とは仕入先のために売り、仕入先の通りの品揃えをすることである。市場外流通の卸売業は、販売代行から仕入代行に変わろうとしている。
  • 市場外流通業者は、量販店や外食チェーンが必要とする食材の仕入れを一括して請け負う方向に向かっている。この場合、2次卸が顧客のニーズに応えて扱い品目を多様化させる場合が成功している。これに対し、全国卸は2次卸を組織化して、量販店取引の前面に出るという戦略で動いている。2次卸を相手にメーカーが作った物を売るだけの卸は、これから苦しい。市場でも、法的規制が無くなれば、入荷した物を仲卸と買参に売るだけの卸売業者は苦しくなる。
  • 市場の卸売業者も昔は産地志向だったが、今は、仕入代行の方が多くなってきている。しかし、もともと川下の需要を睨みながら集荷・買い付けをするのが卸であって、販売代行から仕入代行に切り替えるというような単純な話ではないのではないか。
  • 仲卸の販売力が低下し、消費地の需要をまとめて生産者に伝達できないようでは、卸は産地への影響力を失う。卸自ら、末端需要を把握するには、販売代行的な発想も必要。
  • 圧倒的な集荷力が築地市場の優位性だ。卸が販売代行に転換して、仲卸のように利益の出ない荷は買い付けないというような話になると、集荷力が落ちないか。
  • 仕入れ代行というのは、お客の注文に応じて品揃えをキチンとするということで、うちが扱っている物の中から選べという商売では、仕入れ代行にならない。
  • 市場は、販売代行なのか、仕入れ代行なのか、どっちつかずのまま、卸と仲卸が垂直的に分かれているから、産地にも小売にも満足を与えられない。
  • 販売に必要なものを集めるという発想だと、消費の拡大や需要の掘り起こしといった販売努力をして売り込んでいくという力がなくなるのではないか。生産者が売り捌いて欲しいと思っているのに、「築地はこれ以上は要らないよ」といったら、市場は頼りにならないから自分で売り先を見つけるということになる。仕入れ代行というのは、販売力があって相当量売り込める状態での話なら良いが、販売力が落ちているときに言うと、お客の注文の分だけ仕入れることの言い訳になる。

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II 新市場づくりのための論点整理

1.築地市場の強みと弱みをどう見るか?

(1)築地の強みは、取り揃えの豊富さと大量の集荷
  • 築地市場の強みは、首都圏という大商圏を背後に持ち、全国中央市場の20%のシェアを占めているため、豊富な品揃え、大量安定継続的な集荷販売が可能な点にある。また、築地市場を中心に市場流通網ができていて、大規模集散市場として市場外、市場間競争に十分対抗して発展していける力を持っている。
  • 築地市場の存立基盤は、水産・青果の総合市場として幅広い顧客層を抱えていること、その需要に支えられて多様な品質の商品を販売できることにある。したがって、水産・青果が一体となってトータルな食材供給ができる新市場づくりが重要。
  • 市場外流通には、何時でも何処でも誰とでも取引できるという自由はあるが、多品目をすべて契約によって調達し、生産者が望む支払いサイトを提供することは難しい。市場が持っている取り揃えの効率性が見直され、スーパーの築地市場回帰がおきている。
  • 日本中の産地から品物が集まり、それらを比較して評価できるのは築地の水産だけだ。海外へ行くと、アラスカも、ノルウェーも、東南アジアもみんな築地の相場を見ている。鮭、マグロ以外の非常に細かいものについても、輸入が大部分の海老でも差別化にして付加価値のある物が日本から海外へ出て行くので、海外の産地パッカーも築地の相場を取っている。
(2)今の築地のどこが問題か(弱みは)?
  • 築地市場の弱みは、古い市場、市場業者の多さ、施設の老朽化、狭隘さから、物流を含めたすべての面で改善余地がなく、高コスト体質、品質・衛生管理の欠如など市場外との競争力がそがれていることだ。また、市場業者の間に競争が少なく横並び意識が強い、既得権益が複雑などのため、新規事業へのチャレンジが困難で活力を失っていることが最大の問題だ。
  • 今回の買出人のアンケート調査で、築地市場が優れているのは品揃えだけで、優れていない項目に価格と仕入れ易さが出てきたのは、市場にとって大問題だ。また、鮮度の好さも3割の人しか認めていない。品揃えと仕入れ易さと鮮度は8割の人が認めてくれないと、天下の築地とは言えない。
  • 築地市場は品揃えが豊かだからと皆が集まってくる。けれど、来ているうちに圧倒的な品揃えがあるかというと昔ほどでもない。少しぐらい品揃えが良くても、物流機能がダメ、リテール・サポート機能が無いということで、場外流通へ行こうとしている。
  • 水産は、市場が中抜きされつつあるというのではなく、流通のシステムが大きく変化したにもかかわらず、築地の対応が遅れている。マイナス15度で入荷してくる冷凍魚を、常温下で4時間以上並べていれば解凍してしまうのは当たり前というような現状では、市場の地盤沈下は避けられない。
  • これまで、築地市場の顧客は、個人商店的な料理飲食業、魚屋が中心であったが、近年急速にチェーン化された量販店、外食産業の比重が高まってきて、従来型の市場では、これらの買出人に対応できなくなっている。また、市場システムが水産物流通の多様化したニーズの全てに対応することが不可能になっているのに、長い間の保護に慣れた築地の人達の意識が変わらないことが問題だ。
  • 単品の取引では市場の流通コストは高いということはあるが、多種多様な商品を取り揃えするコストをトータルすると、市場流通のコストは決して高くはないことを、市場はもっと主張すべきだ。しかし、今の築地の物流のやり方は、非効率な部分が多い。市場業者は、そういう部分を効率化して、どれだけ物流コストを下げられるかということはあまり議論しないで、評価機能とか価格形成機能の重要性ばかりを議論している。

築地市場のメリット・デメリット

(3)新市場に向けた課題は何か?
  • 築地は品揃えで勝負する市場のはずなのに、水産は、量販店に限らず中小小売店が買出しに来たときに、通路が狭く仲卸が魚種別に別れていて品揃えのサービスを十分に享受できない買い回りづらい市場になっている。何でも揃っていて、それが何処にあるかがわかるキャッシュ・アンド・キャリーのような仲卸売場ができれば、買出人も集まってくる。
  • 水産では、仲卸1社と付き合えば、店舗の品物が全部揃うとか、量で勝負する仲卸と質で勝負する仲卸の2社と付き合えば品揃えができてしまうということになれば、品質の優位性と品揃えの優位性を築地は提供できる。
  • 青果の場合、卸・仲卸が連携して新規の顧客獲得をしようと思っても、築地の現状では駐車・荷捌きスペースが無く、受け入れられないことが最大の問題だ。顧客が増えて販売力が強くなれば、集荷は付いてくる。顧客の望む物も集荷でき、それに付随したものも集荷できて、活気のある市場にできる。
  • 青果の場合、基本的に問われているのは、実務面で消費者の要望を的確に捉えた流通になっているか、提案型の流通になっているか、あるいは情報発信の中心となっているかという点にある。今後、規制緩和が進み従来型業務が改善され、市場人の意識が変化すれば、築地市場をはじめとする卸売市場は、先々の変化にも十分対応できる。

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2.市場の評価機能はどうなっていくか?

  • 産地と消費地の両方で価格形成を行うのが、日本の水産物流通の特徴だ。しかし、鮮度保持や輸送技術が発達し、消費地に届いた段階で品質の劣化が起きなくなると、価格形成は1回でもよいのではないか。産地で価格が決まれば、消費地は極限まで物流の効率化を進めることができる。産地に現物をおいたまま消費地で価格形成を行う商物分離が増えるのではないか。
  • 鮮魚は、季節や需給によって値が変動する。産地で決まった値段でやれたら誰も苦労はしない。産地の値付けは、そこで水揚げされた物の中での評価である。築地市場には様々な産地の物が集まり、ある産地で最高とされた物が他の産地の物より質が落ちることもある。産地で形成された価格に流通経費をプラスして流通させれば良いというものではない。
  • 産地で値決めをしたから消費地に競りはいらない、ということにはならないのではないか。産地主導の値段で、お客が納得してくれるか。また、いろんな産地から品物が集まってくると、その全体を見たときに、品質や需給量に応じた値決めをすると、産地とは違った価格が成立するという実態がある。
  • 10年先を考えれば、今の魚の評価、目利きの部分が、デジタルなものに変わっていく可能性はある。例えば、脂肪分や色合い、鮮度などを数値化して取引するようなことが考えられる。そうなると、いったん現物を集めて評価するというのではなく、商物分離が強くなっていくということも考えておく必要がある。
  • まぐろのように品質に個体差や多様性のある物は、将来も消費地で競ることが有効。一般鮮魚はすでに相対で流通しているが、全体の量が掴めず、適正価格が解らなくなってきていることが問題。通過物も含めて卸が総入荷量を示し、仲卸・買参の需要量をオープンにする仕組みが必要。
  • 卸売市場で出会い頭に需給が会合するというような古典的な価格形成というのは、もう無くなっている。こういう品質で、こういうサイズで、価格はこのくらいというのは大体予想がついた上で出荷されている。取引の公正を期するためにオークションが残る物も相当あるが、その機能だけで市場がやっていく時代ではない。生鮮食料品を最も効率的に大量にハンドリングできる場だという社会的期待に卸売市場は応える必要がある。
  • 沿岸・海外も含めて生鮮品の市場評価を詳らかにする手立てとして、競り・入札のような公開取引の意味は非常に大きい。産地側も周辺の人達もそう思っているという点では、日本も海外も変わらない。しかし、市場というのは、社会的な合意があって成立しているけれど、競りや入札をやっていれば社会的信頼、取引の信頼を維持できるという時代は、ちょっと過ぎたかも知れない。

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3.卸と仲卸業者の機能分担のあり方は?

  • 生産者の代理人である卸と需要を代表する仲卸が、対峙することで需給調整機能が発揮できるという理論で、将来もやっていけるのか。
  • 本当に役に立つ卸というのは川下に目を向けるので仲卸的な動きをせざるを得ないし、顧客第一主義の仲卸は、卸が集荷した物だけを売っているわけにはいかない。卸と仲卸の垣根を取る、取らないで角を突き合わせるのではなく、ある程度相互に乗り入れることを、制度が邪魔しない工夫を考える方がよいのではないか。ヨーロッパの卸売市場には、卸と仲卸の区分はないが、量販チェーン向けの強力な配送センターを持っている卸と、街の中小専業店を育てていく卸に機能分化している。築地で制度論をまともにやると、どちらも量販店対応能力がないまま、卸と仲卸が客を奪い合って、結局、客を逃がしてしまうだけになりかねない。
  • 水産では、最近、横浜市場や大阪市場の卸が築地の近くに営業所を開くといった動きが出ている。品揃えのために築地から仕入れるという動きと、デフレ経済の中で購買力のある東京に売り込むという両方の動きだ。築地の仲卸と横浜・大阪の仲卸が連携して対応するのが本来なのに、仲卸は、自分の市場にこもって手を出そうとしていない。法律・条例のしばりもあるが、そこを規制緩和して、必要な物は他の市場からも仕入れるとか、東北や関西に販売攻勢をかけていくという時代が来るのではないか。築地の水産では、卸と仲卸が、こういう問題を話し合うということができていない。
  • 青果では、卸がスーパーを見つけてきて、仲卸に間に入ってもらって売っていくという形の連携がある。しかし、水産は、卸が直接量販店対応をやる方向に動いている。水産で、卸と仲卸が互いの機能をうまく生かして、一緒になって顧客対応するためには、卸も行動をセーブする必要があるし、仲卸は集団化して品揃えを多様化するなど卸に対する交渉力を持つ必要があるのではないか。
  • 新しい商材は、消費側からも生産の側からも生まれてくる。生産者がつくったものに、市場が手を加えることで新商材になることもある。だから、青果では、消費サイドは仲卸、生産サイドは卸という分担ではなく、卸と仲卸が協調して新しい物を集荷していくというのが基本的な発想だ。
  • 卸は集荷力を背景に顧客の開拓に乗り出して行く、仲卸はもともと末端流通に強いので集団化して直荷引きに乗り出して行く。両者が競争しながら市場総体の力を高めて行く。市場外流通との競争に打ち勝つには、こういう戦略が必要ではないか。
  • 街では、単独の居酒屋や小料理店が減ってチェーン店が増えている。しかし、居酒屋・回転寿司チェーンといっても、1店1店の発注量は少ない。こういう顧客に対応するには、卸と仲卸が組んで対応しないと、彼等は市場から仕入れない。これまで、冷凍や加工品を中心に仕入れていたチェーン店も、生鮮魚を欲しがっているのに、市場は彼等の要望に応えることができないでいる。
  • 多品目業態の小売や飲食店が増えて、小売に近いところほど、小売と同じ品揃えをせざるを得なくなる。そのため、市場外流通では、業種別に別れている卸売業が業態別に再編成されつつある。市場は、卸が魚種別の専門組織で集荷してきたものを、仲卸が仕入れて業態別に顧客に対応していくべきなのに、現実は、卸が業態別の対応に乗り出し、仲卸は業種別にこだわっていて、量販店対応の分野で、卸と仲卸がバッティングしている。量販店対応は卸が受け持ち、小口対応は仲卸が引き受けるという機能分担なら今のままの仲卸機能でいいだろうが、この場合、仲卸は、客がどんどん減っていって、過当競争で経営が行き詰まるということになる。卸は集荷とロットの大きい商物分離取引に専念し、仲卸が小売・飲食店に対応するというのであれば、仲卸は業態別に再編成される必要がある。
  • 青果の場合、個々の仲卸が買い支えられる量には限りがあるが、仲間取引を通して仲卸が全体として大きな力を発揮している部分がある。個々の仲卸が自分の店に応じた特徴のある品揃えをしていれば、自分の店には無くても、卸や産地から調達するのと同じように仲間から調達できる。こういう取引を仲間取引の情報処理にのせて、代金決済まで住ましてしまうというシステムをつくれば、市場外業者との競争力を強化できる。
  • 仲卸は、丸でマグロを買ってブロックに切り分けて提供しており、例えば寿司屋さんが来て「これくらいのさくに切って」と言われれば、切って差し上げている。最近、出荷者の段階で既に「さく」にして、量販店だけでなく街の魚屋さん・料理店にまで売り込んでいる。また、スペインの蓄養マグロなんかが、市場外流通業者から直接出回り始めている。しかし、仲卸がそういう物を扱いたいと思っても、荷受けを通さないと買えないし、荷受けの扱いも十分ではない。

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4.ビジネスチャンスの拡大には商物分離が必要か?

(1)市場流通における商物分離とは何か?
  • 新市場は、なんと言っても消費地の真ん中にあるので、日々発生する需要、実需を賄うために必要な物流は扱う。仮に、都民が食べる1日のマグロの量が1000本として、周辺地域を含めて仲卸さんが抱えている需要の総数を足すと2000本の実需がある。このとき、この2000本は、毎日、現物を供給しないと安定供給にならない。だから、新市場には、そういう2000本を扱うスペースはなければならない。ところが、生産サイドから2000本のほかにプラス1000本も販売して欲しいと言われたとき、あるいは3000本でないと供給しないとなった時、余分な1000本は市場に持って来ないで取引してもいいではないかということが出てくる。「それは認める」というのが市場の商物分離ではないか。
  • 例えば、3000本のマグロを扱えて、ようやくパワフルな卸としての地位が保てるというときに、販売力が2000本しかない仲卸から「3000本全部築地に並べろ」と言われると、卸は困るだろう。3000本扱うおかげで、築地の2000本も調達できることがあるということは、認める必要がある。世界中で魚の集荷競争がはじまったら、こういうことは起きてくる。今まで、この部分は卸の兼業や子会社の業務ということで市場の外枠にあったが、それらの商流取引のパワーも市場としてのパワーにすることが必要ではないか。
  • 大手のスーパーやその配下の仕入れ業者が産地と取引するときに、わざわざ中央市場の卸を間に入れて、物は市場を通らずに流れて行くということがある。決済とかクレーム処理、欠品が出たときの代替品の保証とかに市場の機能を使いたいというニーズがある中で、産地から荷を運んで並べないとダメだというだけでは、社会的役割を果たしているとは言えないのではないか。この機能は、卸でなくても仲卸がやってもいい。中央市場が階層分化して基幹市場が多様な機能を持つことがローカルな市場からも求められているときに、商流の仲介機能は要らないというとでは、都民が必要とする量さえ集まらなくなるのではないか。
  • 水産物の場合、中央市場の中にも、子会社や兼業を駆使してかなり融通無碍に商売をしている市場があって、市民の方から市場取引が見えるようにしろという声が強くなった。そうしたら、「市場は競りだけやりましょう。」、あとのことは外で自由にやりましょうというふうになって、市場業務はどんどん縮小していっている市場がでてきた。市場では競りだけをやってそれ以外は外で自由でも、企業としては成長できるが、そんなものを公的に維持する必要があるのかという問題が出てくる。市場に多様な商品を集めつつ、なおかつ外にも取引を拡げて行くという多様な機能を認めることが必要だ。
  • 商物分離か現物取引かは、品物によって違ってくる。養殖の鮭・鱒みたいに、多国籍企業の配下みたいな企業が地球の裏側で供給している物なんかは、現物を見て価格形成するという物ではない。しかし、アラスカの紅鮭みたいに漁業者の企業努力で商取引するような物は、市場での取引にきちんと位置づけて、野放図な商物分離は認めないことが必要ではないか。
(2)商物分離が進むと新市場は物流センターになるのか?
  • 豊洲は40ヘクタールという制約を考えると、基幹市場に必要な物流を全部中でやるのは難しいかもしれない。見本取引と現物取引を商品で分けたら、見本取引品は場外の物流基地で流してしまうこともあり得るのではないか。全部市場へ運び込んで値付けしてから、また運ぶというのはスピード競争に負けてしまうのではないか。早く届くという付加価値を付けるには、産地から顧客へストレートに届けることも考える必要がある。
  • 将来、商物分離が進むといっても、一定程度の現物を持たなくて、情報だけで全て取引するというわけには行かない。価格形成ができるだけの実物の量の裏づけがあって、そこから先は、商物分離で行くということになる。
  • 商物分離というと、物流がどこかにもっていかれてしまうとか、商取引を誰かに取られて市場は物流センター化するとかという話が出るが、そうではなくて、自ら商物を分離して、商流も物流も全部市場がコントロールするんだという発想で考えるべきだ。コントロールするためには、水産だと、どこの浜で何が獲れて、今、トラックでどの辺りを走っているとか、どこの価格はいくらぐらいかを全部つかんでいる必要がある。仲卸さんは、そういう情報をきちんと出すべきだと卸に迫っていて、市場外流通業者がそういう情報システムを構築しようとやっきになっている。こういう時代の中で、基幹市場であり続けるには、そういう情報化が必要ではないか。それができれば、商物分離を市場は使いこなせる。
  • 現在の築地でも、大きなロットで冷蔵庫で名義変更したり、冷蔵庫から量販店のセンターに直接配送できるような物は、場内に持ち込まれていない。13年10月26日の調査では、水産の卸・仲卸が取扱った2400トンのうち約200トンは、場内に入っていなかった。だから、買出人が日々持っていく量、仲卸が当座の在庫として持つ量、現物を見ないと取引できない物で約2200トンはあるということになる。仮に、市場からキャッシュ・アンド・キャリーが無くなって、全て仲卸が配達するとしても、顧客ごとに商品を揃えて届けるには、やはり1箇所に集めて仕分けする必要がある。

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5.卸売市場の公共性・社会性をどう考えるか?

(1)公設市場の役割は、責任ある品揃えと安全・良質な食料品の供給
  • 公的な卸売市場の役割は、良質な食品を安定供給することだ。良質な食品の条件は、消費者が美味しいと思う食品、安全な食品、健康に良い食品、地球環境に負荷を与えない作り方・流通の仕方で提供される食品であることの4つの条件を満たす必要がある。安定供給については、売れるから売れ筋商品だけを追求するという姿勢では、民間の物流センターや市場と同じになる。自然を相手に生産するのだから、種の保存とか資源管理といった点も念頭に置いた取引の場だということを考える必要がある。
  • 卸売市場の公共的な役割は、社会性のある品揃えを担うことと、食の安全を保証することだ。国民が卸売市場を支持する根拠は、この二つだから、市場にいる人達は、このメリットを生かせるよう頑張ってもらう必要がある。
  • (社会性のある品揃え)
    例えば、スーパーが産地と卸売市場を組み合わせて品揃えをするというのは、日本全体の流通のほんの一部を切り取っているだけだ。ところが卸売市場の品揃えは、受託拒否禁止の下で行われる品揃えであって、売れる物だけをつまみ食い的に集める品揃えとは違う社会性を持っている。生産された物を社会性において集めるというのは、食糧資源や生産と消費を結びつけて社会を安定させるために、大変重要だ。ただ、現実の市場流通は、ロットの大きい定番品の方が手数料が稼げるので、細かい商品が集まらなくなってきている。社会的な品揃えを効率的にどう実現するかが市場の課題だ。細かいけれど質の良い物を集めてネットも使ってやれば、ビジネスとして十分成長していける。
  • (食の安全を保証)
    税金を投入しているのだから、卸売市場を通れば絶対的に安心だという信頼を築いて行くためには、安全性の劣る食糧品は受託を拒否せざるを得ないかもしれない。一方で、受託拒否しないことが公共性でありながら、他方で、安全性の観点から拒否するという難しさを、市場の人達は解決する必要がある。この場合、ヨーロッパの食のリスクについてのマネジメントが参考になるのではないか。例えば、アメリカでは遺伝子組み換え食品はすんなり認めているが、EUは科学的根拠がはっきりしていなくても禁止することができるというマネジメントでやっている。卸売市場というのは、食料品のリスクマネジメントの機能を持つことで、はじめて公共性が保証されるかもしれない。
(2)市場業者に求められる公的役割の自覚
  • 公共性を外してしまうと、効率の良い市場だけあれば良いということになり、取引に参加できる、できないというのも全て競争に委ねれば良いという議論になってしまう。市場業者が、取引ルールや資格要件などの公的な縛りの中で、公共施設を使って仕事をしていくという自覚を失くしたら、行政がバックアップする必要性はなくなる。
  • 市場を通した方が、鮮度の良い物を早く低いコストで届けられるというのでなければ、行政がバックアップする意味がない。しかし、市場外流通からは、市場を通すとコストが高いといった批判が出ている。もし、市場のコストが高いのなら、現行法制度に問題があるのか、市場業者の企業努力が足りないのかを真剣に議論する必要がある。ところが市場の中では、公共性を守るためにどの規制を残すのかばかり議論している様なところがある。市場業者全員が、コストを下げてその分、生産者や買い手に納得してもらうことを真剣に考える必要がある。
  • 市場外流通が無視できない競争相手に成長したために、市場業者の手かせ足かせになるようなものはできるだけはずして、市場と市場外流通が同じ土俵の上で勝負できるようにしようというのが、世の中の議論の流れになっている。しかし、食品の安全・衛生を保証するとか、商物分離の場合でも魚ころがしのようなことは規制するとか、委託は拒否しないとか、守った方が良いものもある。市場業者の議論を聞いていると、とにかく自由にしろというのと、規制による保護は手放さないという、両極端の発言が多い。自分達は、公的市場の業者としての期待に応えているのかという議論が少ない。
  • 市場業者のひとりひとりが、流通コストの引き下げや品質管理の向上など、消費者や買出人から評価される取引・物流を実現できるいい仕事をしているかということが重要。負担すべきコストを回避して、自分の商売の都合だけで行動していては、社会から信頼されなくなる。
  • 卸売市場は有用なのか、無用なのかという議論があるが、社会の役に立たなければ無用になるし、役に立てば有用なので、市場関係者が公共施設を使って何をやるかを抜きにして、一概に有用か無用かを議論することは意味がない。
  • 中央卸売市場は、食品の生産・流通にとって非常に重要なインフラだ。これと同じものを民間でつくると大変なお金がかかるし、絶対に民間ではつくれない。だからといって、流通が変わったのに、これまでどおりのやり方で残っていけるということではない。

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